三餘塾資料館について
土屋三餘と三餘塾
土屋三餘
1815年(文化12年) - 1866年(慶応2年)
三余農園の先祖に土屋三餘(三餘先生)という教育家がいます。 松崎の聖人と呼ばれる三餘は、幕末、武士に苦しめられる農民の姿を憂い、伊豆松崎町に「三餘塾」という塾を開き、松崎町を始め、各地から生徒を受け入れて農民の地位向上を目指した教育に力を注ぎました。
「なすことによって学ぶ」は 三餘塾の基本的学習法でした。
塾では学問の他にも塾生一人ひとりに作物を作らせ、汗水を流して農業をする事の中から、真の生き方を感じ取らせるのに役立てました。三餘は「作物の生命も人間と同じく愛情を込めて扱う事」を塾生に強く教えていたと伝えられています。 当園は先祖・土屋三餘の教えを受け継ぎ「三余農園」と名付け、初代から変わらず真心をこめて農作物と向き合い続けています。 三余農園敷地内には「三餘塾資料館」があり、土屋三餘の足跡を辿ることができます。
※三餘・・・三つの余暇(冬・夜・雨)を利用して学問に励むの漢詩(中国魏の董遇[とうぐう]の言葉)
三餘塾の展示について
左:ビール/右:ライター
安政元年(1854)宗三郎、清二郎らを連れて黒船を見に下田へ行く。
その時に水兵と物々交換をした。
天保10年(1839)3月三余25歳中村に帰郷 恩師東條一堂から送られた送別の書
明治16年(1883)3月勉三ら十勝開拓出発前に送別の宴が開かれた。
留別の詩:父母兄弟の深い肉親の恩愛をたち切って今私は北海道開拓の旅に出ようと考えている。今送別の詩を開いて兄さんと向かい合って酒をくみかわしていると自然と涙が長手どうしようもない。つらつら思うに此の志を遂げて国恩に報いる事の出来る日はいったい何日の事であろうか。然し世情如何なる大事業でもすべてこれを成し遂げるは人間の力によるものである。自分も此の若さを持ってしっかりやって来るぞ。
送別の詩:国恩に報いようと考えて北海道開拓の旅に出発することになった。然しながら開拓の事業は並々ならぬ苦労が伴うであろうが、わが依田家ではあらゆる苦労を楽しんで乗り越えてゆくのが家風である。弟よしっかり行ってこい。だが此の壮行は勿論大いに祝うべき事ではあるが、いよいよ別れとなり夕日が西に傾き沈んで行くのを見ると何となく弟と別れるのが悲しくなってくる。
決意の詩:イギリスやソ連の勢力が北海道に大部はって居るけれど、之を倒すには何の困難があろうか。北海道の地に権威を張るは我々に任せて置いて呉れ、我らが北地に来て丁度朝日がさして雲がなくなってしまうようだ。同志よ共に胸を張ってあの日本の象徴の富士の霊峰を仰ぎ見ようではないか。
入門帳 東は江戸、仙台 西は京都、熊本から入門 数は700人余り
資料館見学の申し込みについて
- 見学は予約制です。ご希望の場合は必ず一週間前までにご予約ください。
- 入館者数や駐車場の数に限りがあり、お申込みに際しご要望に添えない場合がございます。予めご了承ください。
- 必ずお電話にて見学申し込みを行ってください。
資料館情報
名称 | 三餘塾資料館 |
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展示物・収蔵品の年代 | 江戸時代後期〜明治 |
住所 | 〒410-3626 静岡県賀茂郡松崎町那賀73-1 |
電話番号 | 0558-42-0408 |
開館時間 | 9:00~17:00 ※来館される場合は、事前に連絡をお願いします。 |
入館料 | 無料 |
休館日 | 不定休(お問い合わせください) |
駐車場 | 駐車場あり(約10台駐車可能) |